七夕には笹の葉に願い事を書いた短冊を飾る…
こんなイメージをお持ちの方は多いかもしれませんが、七夕にそうめんを食べる地域があるのをご存知でしょうか。
そこで、今回は「七夕にそうめんを食べる由来」などについて解説していきます。
Contents
七夕にそうめんを食べる由来は?
7月7日の七夕にそうめんを食べるようになった由来は、1000年以上も前にさかのぼります。
927年に宮内の儀式・作法を集大成した「延喜式」という格式が完成し、そうめんの原型とされる「索餅」(さくべい)が旧暦の7月7日、七タの儀式に供えられたという記述が残っています。
平安時代には、宮内の七夕行事に索餅が欠かせなかったと言われています。
索餅というのは、小麦粉と米粉を水で練って塩を加えて縄状にした麺料理のことで、中国から日本に伝わりました。
中国の故事には、「7月7日に索餅を供えると無病息災に良い」という言い伝えがあります。
その言い伝えが日本にも伝わり、7月7日の七夕に索餅を供えるようになったと現在では考えられています。
その後、宮中行事が一般市民にも広まり、七夕に索餅が食べられるようになりました。
七夕にそうめんを食べるようになった由来には諸説ある
七夕にそうめんを食べるようになった由来としては、そうめんの原型である「索餅」が七夕の儀式で備えられたとする説が有力ですが、諸説あります。
- そうめんを機織りの白い糸に見立てた
- そうめんを七夕の天の川に見立てた
七夕は、もともと「乞巧奠」(きこうでん)という祭りでした。
このお祭りには「着物織り技術の上達を願う」という意味があり、機織りの白い糸に見立ててそうめんを食べるようになったという説があります。
もうひとつは、白いそうめんが天の川のように見えることから、そうめんを七夕に食べるようになったという説も存在しています。
7月7日は「そうめんの日」
7月7日といえば七夕ですが、「そうめんの日」でもあることをご存知でしょうか。
実は、昭和57年に全国乾麺協同組合連合会が7月7日を「そうめんの日」と定めたのが始まりです。
その目的は、「7月7日の行事食としてそうめんを全国で広く知ってもらうこと」だそうですよ。
日本では、平安時代にそうめんを七夕のお供え物として扱うようになりました。
この根拠としては、醍醐天皇時代に行われていた宮中の儀式や作法についてまとめられた「延喜式」の中にも、そうめんが七夕のお供えものとして扱われていたという記述があります。
7月7日にそうめんを食べるという風習は、平安時代から続く食文化ですから、今後も大切に守っていきたいですね。
七夕にオススメのインスタ映えする「そうめん」の作り方
七夕といえば、「年に一度だけ織姫を彦星が会える日」というイメージを持っている方も少なくないのではないでしょうか。
また、この時期はまだ梅雨時で蒸し暑い時期でもあり、サッパリと食べられるそうめんが美味しいですよね?
そこで、オクラとミニトマトをそうめんにプラスしてはいかかでしょうか。
まず、オクラを茹でたらスライスしましょう。
オクラの形が星のようで七夕にぴったりですよ☆
そして、ミニトマトは小さい子でも食べやすいように4つに切ってくださいね。
そうめんを茹でたら冷水でしめ、深さのあるお皿に盛りつけます。
そうめんの上から適量つゆを注ぎ、オクラとミニトマトをトッピングしたら完成です!
最近は、カラフルなミニトマトが売られていますので、赤と黄色2色のミニトマトを用意したら彩りもよく、楽しくなります。
インスタ映えすること間違いなし!!
ぜひ、試してみてください!
まとめ
今回は、七夕にそうめんを食べるようになった由来や七夕にオススメなそうめんの食べ方などをご紹介してみました。
平安時代から古く伝わっている風習を子供にも伝え、親子の会話のキッカケになれば幸いです。
そして、夏の暑い食欲が減ってしまう時期にも短時間で調理ができるそうめんを味方につけてくださいね☆