話題作として注目されたドラマ「VIVANT」ですが、一部視聴者から「VIVANT つまらない」との声が数多く上がっています。
豪華キャストや大規模ロケなど、制作面では高評価を得る一方で、演出やストーリーに疑問を感じる視聴者も少なくありません。
本記事では、実際に視聴者が「つまらない」と感じた理由を9つのポイントに分けて解説し、なぜ評価が分かれているのかを明らかにします。
この記事を読むとわかること
- ドラマ『VIVANT』がつまらないと評価される理由
- ストーリー・演出・キャラクター面での問題点
- 高評価とのギャップや視聴者が抱える違和感の正体
Contents
VIVANTが「つまらない」と言われる最大の理由は脚本の弱さ
ドラマ『VIVANT』は、放送前から異例の注目を集めていました。
堺雅人や阿部寛といった主役級の俳優陣に加え、モンゴルでの長期海外ロケなど、制作費・スケール共に桁違いの超大作です。
しかし実際に放送が始まると、SNSやレビューサイトでは「VIVANT つまらない」という否定的な声が目立ち始めました。
その最大の原因として挙げられるのが、脚本の完成度の低さです。
物語全体に一貫性がなく、世界観や登場人物の行動にも説得力が欠けており、視聴者が物語に感情移入できない構造になってしまっています。
特に「なぜこの展開に?」という唐突なストーリー展開が多く、緻密なサスペンスを期待していた視聴者には物足りなさが残りました。
期待と現実のギャップが大きすぎた
VIVANTに寄せられていた期待は非常に大きなものでした。
「半沢直樹」や「下町ロケット」で大ヒットを飛ばした福澤克雄監督の新作とあって、視聴者の期待値はピークに達していたと言えます。
それに加えて、事前情報がほとんど伏せられ、内容を一切明かさずに放送が始まったことも、「ものすごい秘密があるはず」と予想させる構成でした。
しかし、実際には一話から展開される内容に重厚さはなく、構成や会話のテンポも単調で、「これは何を見せられているのか?」と疑問に感じた視聴者が少なくありません。
緻密な伏線や意外性のある展開を期待していたファンからは、「ただのご都合主義」「雰囲気だけのドラマ」と酷評される結果となりました。
リアリティの欠如と無理のある展開
VIVANTは「国家を揺るがす謎」「公安とテロ組織の攻防」など、重厚で緊迫感あるドラマを標榜していました。
しかし実際のシーンでは、視聴者が思わずツッコミを入れてしまうような演出が続出しています。
たとえば、大使館に装甲車で突入する場面では、「なぜ警察がタイヤを狙わないのか?」という不自然な描写が視聴者の失笑を買いました。
また、主人公がCIAの友人からあっさりと機密情報を引き出すなど、現実にはあり得ない展開も多数。
その一方で、そうした展開に対する主人公の葛藤や危機感など、感情の掘り下げがまったく描かれていないため、リアルさを失ってしまっているのです。
ストーリーの整合性を軽視した結果、「物語に入り込めない」「誰にも感情移入できない」という声が多く、脚本自体がこの作品の根幹を大きく損なっているという印象を受けました。
登場人物に感情移入できないキャラクター設定
ドラマ作品において、物語に視聴者を引き込むための重要な要素のひとつが「キャラクター」です。
しかし『VIVANT』では、登場人物に感情移入できないという声が非常に多く聞かれました。
特に主人公・乃木憂助(堺雅人)のキャラクター設定に関しては、「何を考えているのかわからない」「不自然な演技が気になって集中できない」といった不満の声が相次いでいます。
乃木は物語序盤ではおどおどした会社員、しかし実は別人格を持つ秘密工作員「別班」だったというギャップを持つ役どころです。
それ自体は設定として面白いはずですが、演技の説得力と脚本の乏しさが合わさったことで、視聴者は感情の揺れを自然に受け取ることができなかったのです。
主役・堺雅人の演技が空回り
堺雅人は「半沢直樹」や「リーガル・ハイ」などで圧倒的な存在感を示してきた俳優です。
しかしVIVANTでは、その持ち味である狂気を帯びた強さが封印され、別人格としての“弱々しい乃木”を前面に出す構成となっています。
問題は、その弱さが“演技としてわざとらしく”、あまりにも不自然だったこと。
驚いた顔、怯える目線、頼りなさを演出する所作が、どれもあざとく見えてしまったのです。
「あえて弱いふりをしている」のではなく、「弱く見せようと無理して演じている」と感じさせてしまったことが、視聴者の共感を削いでしまいました。
視聴者は乃木という人物が何者なのかを知る前に、「このキャラには感情移入できない」と心を閉ざしてしまう構造になってしまっていたのです。
脇役との化学反応が希薄だった
物語を彩る脇役たち――公安の野崎(阿部寛)、医師の柚木(二階堂ふみ)なども登場しますが、乃木との関係性が極めて薄く、物語に厚みを与えるには至りませんでした。
特に野崎に対しては「威圧的すぎて好感が持てない」「態度が一貫していない」といった批判もあり、柚木との関係性も急速に親密になりすぎて違和感を覚えたという視聴者が多く見受けられました。
感情をぶつけ合うシーンや、衝突からの信頼関係構築といった“人間ドラマ”が不足していたため、どのキャラにも共感するタイミングがなかったのです。
ただ並んで共に行動しているだけの関係性では、視聴者は登場人物を“人間”として捉えづらくなってしまいます。
結果として、視聴者は誰に感情を乗せることもできず、「物語が展開しても、心が動かない」という問題に直面することになりました。
このように、「キャラクターに感情移入できない」という要素は、物語全体への没入感を大きく損なう要因となっていました。
豪華キャストが逆効果?視聴者が感じた「疲労感」
『VIVANT』は、日本のドラマ史でも屈指の豪華キャスト陣が揃った作品として大きな話題を集めました。
主演の堺雅人をはじめ、阿部寛、二階堂ふみ、松坂桃李、役所広司といった名だたる俳優が顔をそろえたラインナップは、まさに“映画クラス”の布陣です。
しかしこの豪華さが裏目に出たという意見が、視聴者から数多く寄せられています。
「俳優たちが本気を出す前に、こちらが疲れてしまった」「スターばかりで物語より顔ぶれに意識が向いてしまう」など、キャストの存在感が作品への没入を妨げていたとする声が目立ちました。
主役級の俳優が多すぎて没入感が薄れる
通常、ドラマには「主役を支える脇役」が配置され、ストーリーの主軸がより引き立つ構成となります。
しかしVIVANTでは、あまりにも主役級が多すぎたことで、誰が本当に中心人物なのかがぼやけてしまう問題が生じました。
視聴者の目線は、「ストーリーそのもの」よりも「次に誰が出てくるのか」「この俳優の出番はどこなのか」に意識が向いてしまいます。
また、豪華キャストゆえに一人ひとりの見せ場をつくらなければならず、ドラマとしての一貫性やテンポが犠牲になったという印象も否めません。
その結果、物語の本筋が薄れ、視聴者が自然と世界観に入り込むことが難しくなってしまったのです。
演技より話題性優先のキャスティング?
さらに一部では、VIVANTのキャスティングが「視聴率を狙った話題先行型ではないか」という批判的な声もあがっています。
それぞれの俳優が強い個性と実績を持っているため、画面に並んだだけで豪華さは伝わってくるのですが、役柄とのマッチングが不自然に感じられる場面が多々ありました。
たとえば、阿部寛が演じた公安の野崎は、終始高圧的で曖昧な言動が目立ち、「信頼できる人物」に見えず、キャラクターとしての魅力が希薄でした。
これは俳優個人の問題ではなく、演出と配役のミスマッチによるものです。
多くの視聴者が「せっかくの演技派が活かされていない」「話題のためだけのキャスティングに感じる」と不満を漏らしており、作品全体の信頼性や完成度を下げる要因になってしまいました。
また、役者の顔ぶれに強烈な印象がある分、「ドラマの世界にいる人物」ではなく、「いつもの俳優たちが演じているキャラ」にしか見えない、という意見もあります。
これもまた、没入感を奪う大きな要素のひとつでした。
字幕の多用が視聴体験を妨げた
『VIVANT』は国際色豊かなドラマであり、舞台は日本だけでなくモンゴルや中東を想起させる架空の国々へと広がります。
そのため、登場人物が話す言語も日本語だけでなく、現地語・英語・ロシア語など多岐にわたり、字幕表示のシーンが非常に多くなっています。
これは「リアルさを追求した演出」として評価する意見も一部ありますが、視聴者の大多数からは「見づらい」「疲れる」という否定的な反応が目立ちました。
特に日本のゴールデンタイムに放送されるドラマとしては、ながら視聴やリラックスしながら観たいというニーズがあり、字幕の多用はそのニーズと大きくかけ離れていたのです。
字幕によるストレスの実態
以下の表は、視聴者が『VIVANT』の字幕に対して抱いた主な反応と、その内容を整理したものです。
指摘された問題点 | 具体的な内容 |
字幕が多すぎる | 1話の中に現地語の会話が多く、ずっと字幕を読まなければいけない |
画面に集中できない | 文字を読むことに集中してしまい、表情や演技が目に入らない |
ながら視聴が困難 | 家事や食事をしながらの視聴が難しく、リラックスできない |
情報量が多くて疲れる | 字幕+映像+音声の情報処理で、集中力が削がれる |
このように、字幕の多用は視聴体験そのものに対して「物理的・心理的な負荷」をかけてしまっているのです。
リアリティ重視が逆効果に
制作側としては「国際舞台を描くなら現地言語を使うべき」というリアリティ重視の意図があったと考えられます。
しかし、視聴者があくまで日本語でのエンタメコンテンツとして受け取っている以上、バランス感覚が求められます。
あまりに字幕だらけだと、それはドラマというより“ドキュメンタリー”のような視聴体験になってしまい、気軽に観たい人たちにとっては負担でしかありません。
「ストーリーを追うより、ずっと文字を読んでいた」「映像とセリフを同時に楽しめない」という不満は、そういった視聴スタイルの不一致によるストレスの現れだといえるでしょう。
このように『VIVANT』における字幕の多用は、リアリティの追求という意味では評価される一方で、多くの視聴者にとっては「疲れるドラマ」という印象を強める結果となりました。
第1話から続く「長尺演出」が裏目に
『VIVANT』の初回放送は108分という異例の長尺構成でスタートしました。
その後も第2話以降で拡大放送が続き、平均して1話が通常のドラマよりも長めに設定されていた点が特徴的です。
本来、時間が長いということは物語の深掘りや緻密な構成に役立つはずですが、VIVANTでは逆に冗長さや疲労感を覚える原因となってしまいました。
「情報過多なのに中身が薄い」矛盾した構成
VIVANTでは、長時間の放送にも関わらず、視聴者からは「内容が頭に入ってこない」「情報が多いわりに展開が薄い」といった意見が多く上がっています。
これは、1話に詰め込まれているシーンや設定が多すぎる一方で、それぞれが十分に説明されず、物語の軸がぼやけてしまっているためです。
長時間見ていたにもかかわらず「何も残らない」と感じた視聴者にとって、その時間は“苦行”にさえ映ってしまいました。
また、テンポの悪さも相まって、シーンが間延びしている印象を受ける箇所が多く、途中で集中力が途切れるという声も。
特に初回は、設定や世界観の説明に時間を割いているため、展開の緩急が弱く、「掴み」としては不発に終わったと言わざるを得ません。
映画的演出がテレビ視聴に合わなかった
制作側としては、モンゴルロケや壮大なスケール感を活かし、“映画のような世界観”を志向したと考えられます。
しかし、その映画的演出がテレビドラマというフォーマットに馴染まず、視聴スタイルとのズレが生じました。
映画館のように集中して2時間座るのではなく、自宅でくつろぎながら見たいという視聴者にとって、VIVANTの長尺演出は負担が大きかったのです。
「テンポが悪くて眠くなる」「終わる前に疲れる」という口コミが物語るように、長尺が作品のクオリティ向上には必ずしも繋がっていませんでした。
「長い=重厚」ではなかった
作品が重厚であるためには、長さだけでなく、ストーリーの深みや人間ドラマの描写が欠かせません。
VIVANTは、時間は長いけれど内容に深みがない、つまり“表面的に長いだけのドラマ”になってしまっていたのです。
特に回を追うごとに冗長な構成が続くと、「この先も長いだけで中身がないのでは?」という先入観を持たれ、視聴継続へのモチベーションが低下していきました。
せっかくの長尺であれば、時間の長さが視聴者の期待感や満足度につながるべきですが、VIVANTではそれが視聴離脱の引き金になってしまったと言えるでしょう。
演出と映像のセンスが視聴者に刺さらなかった
VIVANTは、テレビドラマとしては破格のスケールと予算で制作されました。
海外ロケ、ドローンによる空撮、緊迫感のあるアクションシーンなど、映像面へのこだわりは明らかです。
しかしながら、その映像美と演出が、必ずしも視聴者にとって魅力的だったとは言い難い結果となっています。
「かっこよく撮ろうとしているのはわかるけれど、内容と合っていない」「どこかで見たことのあるような演出ばかり」という声が多く見られ、演出が視聴体験の邪魔になっていたという印象さえあります。
空回りするカメラワークと“間”の演出
本作で特に指摘されたのが、「緊張感を演出するための間延びしたカット」や「ワンショットが長すぎる」というテンポの悪さです。
本来であれば緊張が高まるシーンで、キャラクター同士の沈黙が続くなど、緊張の“間”を活かそうとしているのは分かるのですが、
演出が過剰になってしまい、「ただ間延びしているだけ」「早く次に進んでほしい」と感じた視聴者も多かったようです。
また、カメラがしつこく人物の顔を映し続けたり、必要以上にズームやパンが多用されたことで、緊迫感よりも違和感を覚える場面が頻出しました。
音楽の使い方が逆効果に
映像演出と並んで不評だったのがBGMの使い方です。
VIVANTでは、場面転換や感情の高まりに合わせて音楽を流す演出が多用されていますが、
その多くが「どこかで聞いたような」「耳に残らない」ものばかりで、視聴者の印象に残るシーンを作る力にはなっていませんでした。
特に重要な場面でBGMが不自然に大きくなったり、感動シーンで急に感傷的な曲が流れるなど、
「感情を押し付けられている」と感じた人も多くいたようです。
むしろ、シリアスな場面では音を削ることでリアルな緊張感を演出する方が効果的だったかもしれません。
このあたりも、映画的なセンスを優先しすぎた結果、テレビドラマとしての“見やすさ”や“自然さ”が損なわれてしまった一因といえます。
既視感のある演出に新鮮味がない
VIVANTの演出は、ハリウッド作品や海外ドラマを参考にしていると見られる部分が多くありました。
しかしながら、その模倣が中途半端で、独自性や驚きに欠けていると感じた視聴者は少なくありません。
例えば、建物への突入シーンや爆破シーンも、CGや編集のクオリティは高いものの、「これ、どこかで見たことがあるな」といった既視感が拭えず、意外性や新鮮さが足りませんでした。
これにより、「映像は派手だけど中身が伴っていない」「演出に頼りすぎている」といった批判に繋がってしまいました。
ストーリー展開が「薄っぺらい」と感じる理由
VIVANTの視聴者の中で、最も多く見られた不満のひとつが、「ストーリーが薄っぺらい」という意見です。
それは単にテンポの問題だけでなく、物語の深みに欠ける構成や、キャラクターの背景が掘り下げられていない点にも起因しています。
シリアスな題材を扱っていながら、視聴者に「何がしたいのかわからない」という印象を与えてしまったのは、ストーリーそのものの“芯の弱さ”が原因と言えるでしょう。
伏線の消化不足と唐突な展開
VIVANTはミステリー要素を含むサスペンスとして、随所に謎を散りばめた構成になっています。
しかし、その多くが十分に回収されないまま物語が進行していき、視聴者は置いてけぼりを食らう形となってしまいました。
「最初に強調していた要素が突然フェードアウトした」「気になっていた伏線が回収されないまま終わった」といった感想はその証左です。
ドラマの中で謎が回収されるたびに、視聴者に“なるほど”という納得感があれば良かったのですが、雑な説明や急な展開によって、その期待は裏切られてしまいました。
キャラクターの行動に一貫性がない
ドラマのストーリーに説得力を持たせるためには、登場人物の動機や行動原理に一定のロジックが必要です。
しかしVIVANTでは、キャラクターの行動が場当たり的で、ストーリーの都合で動かされている印象が否めませんでした。
特に、主人公・乃木が「平凡なサラリーマン」から「別人格の秘密工作員」へと切り替わる場面において、その変化の描写があまりにも唐突で、視聴者はついていくのがやっとだったはずです。
また、野崎や柚木といった主要人物たちも、「なぜこのタイミングで信頼したのか?」「なぜこんなにあっさり心を開くのか?」といった場面が多く、感情の流れが読み取れないことが物語のリアリティを大きく損なっていました。
大きな舞台に対して小さすぎる描写
物語のスケール自体は非常に大きく、テロ組織や国家レベルの陰謀など、壮大な構図が用意されています。
しかしその一方で、描かれている人間ドラマや出来事の深みが乏しく、舞台の大きさに見合う中身が伴っていないというギャップが生まれていました。
たとえば、国際的な危機がテーマとなっているにもかかわらず、会話劇やアクションシーンの密度が薄く、内面描写も表面的にとどまっており、「設定だけが大げさ」という印象を与えてしまったのです。
このような構成では、どうしても「見た目は派手だけど内容は空っぽ」という評価につながりやすく、VIVANTもまさにそのパターンに陥ったと言えるでしょう。
設定が突飛すぎる?視聴者が置いていかれる展開
『VIVANT』の視聴者からは、「話が飛びすぎてついていけない」「理解しづらいまま話が進む」といった声が数多く寄せられました。
その背景にあるのは、設定そのものの突飛さと、それに対する説明や描写が十分ではなかったという構成上の問題です。
通常、非現実的な世界観であっても、そこに納得のいくロジックがあれば視聴者は受け入れられますが、VIVANTの場合はその“つなぎの描写”が抜け落ちていた印象が否めません。
「別班」「CIA」「テロ」…詰め込みすぎの世界観
本作には、公安、CIA、テロ組織、裏の諜報機関「別班」など、さまざまな要素が登場します。
それぞれは非常に魅力的な設定であり、もし丁寧に描けば重厚な物語が成立したはずです。
しかし、VIVANTではこれらを短いスパンで次々と投入してしまったため、視聴者が理解する前に場面が変わってしまうという状況が続きました。
設定の“盛りすぎ”によって、視聴者は一体どの立場の誰が何をしているのかを把握しきれず、混乱と疲労を覚えてしまったのです。
主人公の行動に共感できない展開の数々
主人公・乃木憂助の行動にも、一貫性が感じられない場面が多くありました。
彼が別人格を持つ工作員であることが明かされる展開自体は衝撃的ですが、それが視聴者の共感につながるような心理描写はほとんどありません。
また、初回からモンゴルの病院で追われ、突然爆破事件に巻き込まれるなど、情報が詰め込まれた急展開が続きます。
状況を説明するセリフやナレーションが少なく、「とにかく映像を追うしかない」という構成になっており、視聴者の置き去り感は否めませんでした。
視聴者の“理解力”頼みのドラマ構成
ドラマにおいて視聴者の想像力を引き出す演出は大切ですが、基本的な説明が不足しているまま物語を進めてしまうのは、エンタメ作品としては不親切です。
VIVANTは、視聴者がストーリーの“解読”をしなければならない場面が多く、それが“難解”というより“めんどくさい”と感じられてしまいました。
そのため、「何度も巻き戻して観ないと理解できない」「ながら見ができない」といった声も多く、娯楽性を感じられないという不満につながっていたのです。
突飛な設定自体は悪いことではありませんが、丁寧に描かれなければ“視聴者を選ぶ作品”となってしまいます。
VIVANTはまさにその典型であり、エンタメ性と物語の難解さのバランスを見誤った作品だったといえるでしょう。
VIVANT つまらないと感じる人が抱える共通の疑問とは?【まとめ】
VIVANTは視聴率やSNSでの話題性からも分かるように、間違いなく注目度の高いドラマでした。
しかし、その一方で「つまらない」「思っていたのと違う」という失望の声も非常に多く、評価が二極化しています。
なぜこれほどまでに明暗が分かれる結果となったのでしょうか。
そこには、視聴者が抱える共通の“疑問”や“違和感”が潜んでいるようです。
「これは本当に面白くなるのか?」という根本的な疑念
多くの視聴者が、1話〜2話を見た段階で「この先に期待していいのか?」と不安を抱いたのは事実です。
それは、物語の軸が見えづらく、キャラクターにも感情移入できず、設定も非現実的で、何を楽しめばいいのかわからない――という総合的な混乱に起因しています。
「まだ序盤だから仕方ない」「きっとこれから面白くなる」と期待しながらも、その根拠が見つからないままストーリーが進んでしまったことが、“離脱”につながってしまったのです。
期待値が高すぎたことが裏目に
主演・堺雅人、演出・福澤克雄という布陣は、過去のヒット作『半沢直樹』『下町ロケット』を連想させ、視聴者の期待は最初から非常に高かったと言えます。
さらに海外ロケや大規模な制作費、謎めいた予告映像などにより、「今期の本命」とも言える前評判が形成されていました。
その分、実際の内容が“期待に見合っていない”と感じたときの落胆は大きく、
「なぜこの作品がここまで持ち上げられているのか?」という逆の疑問が浮上してしまいました。
「誰向けのドラマなのか」が見えなかった
最後に、VIVANTが多くの視聴者にとって“刺さらなかった”最大の理由は、「誰に届けたいのか」が不明確だった点かもしれません。
本格サスペンスを求める人にはご都合主義が鼻につき、娯楽ドラマを求める人には難解な設定が重すぎる。
ライト層には情報量が多すぎ、コア層には深みが足りない。
このように、視聴者層のニーズにマッチしない構成が、“高評価もあるのに、自分にはまったく響かない”という温度差を生んだのです。
「VIVANT つまらない」と感じた人へ
ドラマに対する感想は、決して「正解」があるものではありません。
ただ、VIVANTがこれほど多くの人に“つまらなさ”を感じさせてしまった背景には、構成の甘さや視聴者への配慮の欠如があることは否定できません。
「話題作なのに楽しめなかった」と感じた方にとって、この記事がそのモヤモヤを整理する一助になれば幸いです。
この記事のまとめ
- VIVANTは豪華キャストでも賛否が分かれる作品
- 脚本や演出が物語の深みに欠ける点が指摘されている
- 字幕や長尺演出が視聴のハードルを上げた要因
- キャラクターへの共感不足が没入感を妨げる
- 詰め込みすぎた設定が視聴者を置き去りに
- リアルさより派手さ重視の演出に違和感の声
- 面白いと感じる層とそうでない層の分断が顕著
- 期待値とのギャップが「つまらない」評価につながった