お花見団子の由来って聞いたことはありますか?3色団子には実は意味があるんです。
本日はお花見団子の豆知識をご紹介いたします。
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お花見団子の豆知識!お花見団子って地方によってスタイルが違います
お花見団子の意味や由来について知りたい!
お花見のお団子の色が3色なのは、なぜか考えたことってありますか?
普段、特に何も考えることなく、美味しく食べているお花見のお団子にも深い意味や由来があるんです。
お花見団子は、桃色、白、緑の春らしい3色の団子が串に刺さったお団子ですね。
しかし、これが定番ではなく、地方によっては、たとえば、京都なんかはこの3色に茶色を付け加えた4色のお花見団子があったり、福島県では串に刺さっていないことや、秋田県では平らな形であったりユニークなスタイルがあるんです・・・ちょっと食べてみたくなりませんか?
京都のお団子が4色めが茶色なのは、京都も商業に携わる人には、お金よりも風流を大切にする誇りがある意味があります。
お馴染みの3色が大半なところが多いので、3色団子と呼ばれて親しまれているんです。
上新粉に砂糖を足したすあまと、赤しそと桜の桃色、よもぎ団子だけで食べても美味しい緑の造りになっています。
食紅や天然色素を使うお団子店もありますが、長きに渡って愛され続けている老舗のお団子専門店の場合、赤しそやクチナシ色素といった昔ながらの作り方をしている名残りがあるようですね。
お花見は歴史上の”あの人物”と深い繋がりがあるんです!
お花見は平安貴族の宴が始まり?お花見を考案した”エンターティナー”は、豊臣秀吉
かつての古くからの歴史的なお花見はというと、今のような満開の桜の開花を鑑賞するのではなく、平安時代から 宮中にて開催されていました。
当時のお花見は桜を眺めて春の訪れを実感するのとは違い、和歌や踊りを堪能する宴だったといわれています。
京都にて、正室や側室、実の子や婚外子、家来や武将などおよそ1300人を招待して、花見を開催したのが、豊臣秀吉。
現代で言う、”パーティピープル”のように、大勢で集まって楽しいことをするのが大好きだったようですね。
この頃は、桜を邸内に植えることが大流行し、優雅に暮らすことが良いとされていた時代でもありました。
この宴のために、桜の木は700本も用意され、女性陣には2回のお色直しが強制されるなど、当時の女性にとっては、”やや面倒くさい”上司からの命令のようなことが行われていましたが、皆一体となって満喫できたという言い伝えもありますよ。
実はこの時に出されたお菓子が、三色団子なんです。
当時のお団子は白一色で、甘くない団子に醤油などで味付けして食べるのが主流でした。
しかし、豊臣秀吉が意見し、見栄えのいい三色団子にしたらどうかと提案したことが、今の3色のお花見団子の始まりでした。
そこで、桜を鑑賞して楽しみ、3色団子を食べる現代のお花見へと進化していったのです。
貴族だけでなく、一般大衆にも拡大していくお花見文化
鎌倉時代には武士や農民にもお花見とお団子は愛された!江戸時代で現代のスタイルに!
鎌倉時代になると、貴族の間で浸透していたお花見が、武士の間でも親しまれるようになってきました。
この当時には、京都の寺院や神社、山々に桜が植えられてきたこともあり、桜を楽しむ文化が日本に浸透してきたのです。
また、室町幕府の8代将軍の足利義政が1468年に花町山大原野で大規模なお花見を開催しました。
これによって、お花見団子も武士の間で、桜を見ながら甘い団子を口にして現代のお花見を楽しむようになりました。
武士だけではなく、農民も古くから、春に農業を始める前に山に入って豊作を祈願する、「春山入り」、「春山行き」と呼ばれる風習がありました。
当時は、天気予報がなかったので、農民たちが桜の開花具合から、その年の豊作や凶作を予想していました。
その風習もまた、桜の木の下で、現代人がお弁当を持ち寄って花見をするように、重箱に詰めたご馳走やお酒を嗜みながら、お花見団子に舌鼓を打ったようです。
江戸時代に入ってからは、それまでは貴族の間で親しまれていたお花見とお団子が、武士と農民に定着するようになっただけではありません。
庶民の間でも幅広く認知されるようになりました。
江戸時代の将軍、徳川吉宗が、一部の庶民が貧困などが原因で暴走やトラブルを起こすようになり、それを見かねていたことが始まりでした。
徳川吉宗が豊臣秀吉のように、庶民にお花見を広めたことから、全国的に知名度がありますよ。
庶民にも娯楽を与えようと各地に桜を植えた吉宗は、無礼講でみんなが一体となって心おきなく楽しめる行事を企画し、お弁当やお酒を楽しむ今のスタイルがより一層、知名度が高まるようになり、親しまれるようになってきたのです。
お花見団子の色はなぜ、決まってるの?お花見団子エピソードが面白い!
お花見団子が、桃・白・緑なのはなぜだろう?
お花見団子の諸説は3つある!
桃色は桜を意味し、白は冬の雪、緑は深緑なので夏といった季節を意味していると言われています。
秋がないのは、団子屋が繁盛するように、”商い”とお団子が何本食べても、”飽きない”にかけたダジャレだという言い伝えもあります。
雪溶けして、緑が生い茂り、桜が開花する春の足音わる意味で、ピンク・白・緑になったという心和む諸説も。
他にも、桃色は運気アップとお祝いに相応しい紅白の紅、白は清潔を現し、緑は厄払い、京都のお花見団子で定番の茶色も桃色と同様、運気を上げる色を意味しているようですね。
お花見団子の序列と関連諸説についても紹介!
お花見団子が串に刺さった順番も意味があるって知ってた?
お花見団子は、上から桃、白、緑と並ぶ順番も決まっていますよね。
これにも実は意味があるってご存知ですか?諸説もまた奥深く、お子さんに家族の団らんのコミュニケーションとして伝えたいものです。
桜が咲く様子を表現している
桜が咲く時、赤い蕾を目にした時、春のように心が穏やかになりますよね。
その桜が開花する様子をお花見団子の色で表しているというちょっと心温まる諸説もあります。
桃は桜や春を、白は白酒を、白酒は桃の節句にあたる3月3日に飲むお酒のことです。
白酒の白にも意味があり、冬の雪が僅かに残る早春や温かな春の白い空を表しているという説もありますよ。
三色目の緑はヨモギや深緑のことを表しているとも言います。
桃、緑、白は”かわいらしい”色彩美だけでなく、それぞれが春にちなんだ意味合いがあるようですね。
お花見団子の元祖について知りたい!
三色団子の”団子”起源は?
団子は丸いという意味の「団」と「子」が組み合わされて、団子という言葉で表すようになりました。
そもそも「団子」とは、穀物の粉と水やお湯を練って丸め、蒸したり茹でたりした後に、加熱したものを意味し、小さい団子を串に刺したものは、串団子と呼びます。
起源は諸説が多く、縄文時代にドングリやくぬぎをすりつぶした粉を御粥や団子の円形にして、食べるようになったことが始まりと言われています。
現在では、蒸した米粉やモチ米粉を使用して丸めたものが多く、現在でも慣れ親しまれている和菓子へと変わりました。
三色(花見)団子の他にも、お月見団子や、お彼岸やお盆にご先祖様のお供えとして使われている、積み団子などといった季節の歳時で準備することがあるお団子、よもぎ団子やきび団子の全ての”お団子”が、この起源に由来しているといわれています。
まとめ 三色団子は歴史上人物がお花見を楽しむことを推薦している
- 京都は赤、白、緑にプラス茶色を足したり、福島県は串に刺さっていない、秋田県は平らな形といったお団子の形状が地方により異なる
- 豊臣秀吉や徳川吉宗が桜を鑑賞して、お酒や料理に舌鼓を打つ現代のお花見スタイルを発信させた
- お花団子の色は、秋を覗いた三つの季節、三色全てが春を示していること、縁起が良くなるように、厄払いなど諸説がある
- お花見団子を含めた全てのお団子には、丸を意味する、「団」と「子」が組み合わされて出来たことや、縄文時代にどんぐりやくぬぎをすりつぶした粉を御粥状や丸い形に整えたことが起源とされている