七夕を行事としてわいわい楽しんでいるお子さんは多いことでしょう。
大人の方も楽しんでいらっしゃるでしょうか。
さて、七夕がどうして生まれたかについてなど、七夕の由来はなんなのかご存知ですか??
あらためてそう聞かれると、分からないという方が多いんじゃないかなと思います。
そこで、今回は七夕の由来や歴史など、そして、それを簡単に伝える言い方をご紹介します!
七夕の意味
まさにみなさんがわかっている通り、おりひめとひこぼしが一年に一回だけ会える日で、短冊にお願い事を書いて叶えてもらう日ですね。
また、七夕は五節句のひとつです。
節句とは季節の変わり目を祝う日ですが、五節句はそのなかでも重要な日になります。
五節句の一覧は以下の通りです。
七夕以外にも頭にいれておきましょう。
1月7日 人日(じんじつ)
3月3日 上巳(じょうみ)
5月5日 端午(たんご)
7月7日 七夕(たなばた)
9月9日 重陽(ちょうよう)
1月以外は月と日の奇数数字が揃っています。
1月が例外になるのは、1月は元日とかぶってしまうためですね。
雨が降ってしまった場合、おりひめとひこぼしは会えないの?
おりひめとひこぼしは雨が降った際、2人は会えないとよく言われていますね。
ですが、これには、「2人は会える」「2人は会えない」両方の説が存在しています。
一般的な「2人は会えない」とする説
この説では、雨が降ってしまうと、天の川の水かさが増して、橋を渡ることができなくなる、というふうに言われています。
雨でも「2人は会える」とする説
この説では、雨は2人が会えて喜んでいるうれし涙とされているようです。
1年間も会えなかったわけですからね。
雨が降ったからどうこうというよりも、二人が会った結果として雨が降る、といった解釈になりますね。
七夕の由来
ここで、七夕の起源となった3つのものをご紹介します。
日本の伝説・棚機女(たなばたつめ)
七夕を「たなばた」と読むのは、棚機女の伝説からきています。
棚機女(たなばたつめ)に選ばれた人は、棚機という織り機が使って、着物を織って神様にお供えをします。
機屋(はたや)という機織りをするための建物にこもって作業していたようです。
こうやって秋の豊作を祈ったり、人々のけがれを払ったりしていました。
おりひめとひこぼしの伝説

みなさんご存知の通り、おひりめとひこぼしは一年に一回だけ会えるというお話なのですが、もう少し詳しく説明します。
おりひめとひこぼし(琴座のベガ・織女星(しょくじょせい)と鷲座のアルタイル・牽牛星(けんぎゅうせい))
天帝の娘がおりひめです。
天帝とは、天にいて、すべてのものを支配する神様のことです。
おりひめは、立派に布を織る働き者の娘でした。
天の川の東には、牛飼いのひこぼしがいて、彼もまた働き者でした。
天帝は、その2人を結婚させることにしたのです。
しかし、ここからが問題でした。
2人はずっと一緒にいて離れたくなく、仕事も放棄して、ずっと天の川で遊び呆けるようになってしまいました。
2人とも浮かれてしまったようですね…
布を織らなくなったため、神様たちのお着物もぼろぼろに。
このことに天帝は非常に怒りました。
その結果、2人は天の川の両岸に引き離されてしまい、一年に一度しか会うことを許してもらえなくなってしまったそうです。
夏の大三角形のお話 デネブ・アルタイル・ベガ

夏の大三角形とは、デネブ・アルタイル・ベガの3つの星を結んで描かれる三角形のことです。
3つの中で、一番明るい星がベガです。
ベガからみて右下の方向にあるのがアルタイル。
ベガからみて左下にあるのがデネブになります。
おりひめは琴座のベガ、ひこぼしは鷲座のアルタイルです。
では、七夕の日には2つの星が近づくのがみられるのでしょうか。
1光年=約9兆5千億km、光が一年かけて届く距離です。
わたしたちからベガまでは約25光年。
わたしたちからアルタイルまでは約17光年。
そして2つの星の間の距離は、約15光年。
2人は宇宙で一番早い光でも会える距離ではないのです。
なので、実際に星が近づいているのをみれるものではなく、おりひめとひこぼしが七夕に会っているのはあくまで伝説上のお話ということになりますね。
中国の行事・乞巧奠(きこうでん/きっこうでん)
特にこの乞巧奠が七夕行事の形成に影響を与えているといっていいでしょう。
いま、七夕でお願い事をするのはここからきています。
陰暦7月7日の中国の行事でした。
織女星にあやかって、女子の手芸や裁縫の上達を祈ったものです。
だんだん芸事や書道の上達も祈るようになりました。
現在の七夕では、もっともっと願い事の範囲は広がってますよね。
七夕の歴史
【平安時代】日本で七夕行事がはじまる
平安時代に日本に乞巧奠が伝わり、七夕の行事が行われるようになりました。
しかしこれは宮中だけで、このころ七夕は庶民には広まっていませんでした。
宮中の人たちは、桃・干し鯛、アワビといったものをお供えしました。
星を眺め、お香をたいたり、詩歌を楽しんだりしました。
【江戸時代】庶民に七夕行事が広まる

七夕が五節句になったのは江戸時代。
七夕は庶民の行事になりました。
江戸時代には、野菜や果物をおそなえして、詩歌や習い事の上達を祈願しました。
庶民に広まったこのころから、七夕は短冊にお願い事を書いてつるすお祭りへと形が変わってきました。
なので七夕がほぼ今の形になったのは江戸時代ですね。
古代中国のこの世の万物は木・火・土・金・水から成っているという陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)から、短冊は五色(青・赤・黄・白・黒)が基本となりました。
現在の七夕
現在では、なんでもありのいろんなお願い事を短冊に書いたり、他にもいろんな飾りをつくって飾ったりしていますね。
また、七夕メニューの献立を考えられる方もいると思います。
七夕そうめんが七夕の行事食としてはよく食べられますね。
短冊に書くことは、その由来を考えると、本当は自分の向上・成長になるようなことがいいんです。
「◯◯(もの)がほしい」と書く人は多いですよね。
こういうのは、ただねだっているだけなのであまりよくありません。
短冊以外のかざりに関しては、以下のようなものを飾るようになってますね。
- 千羽鶴(せんばづる)
- 紙衣(かみこ)
- 投網(とあみ)
- 巾着(きんちゃく)
- 屑籠(くずかご)
- 吹き流し(ふきながし)
- 提灯(ちょうちん)
千羽鶴は長寿・健康を、紙衣は裁縫の上達を、投網は大漁を、巾着はお金がたまるようにということ、屑籠はものを粗末にしない・整理整頓をきちんとする、吹き流しは織物や裁縫の上達、提灯は明るく光をともすので人の心を明るくするという意味がこめられています。
七夕の由来を簡単に伝える
七夕の由来を簡単にまとめるとこんな感じになります。
- 七夕にやることは中国の影響を大きく受けている。
- おりひめ星にあやかって裁縫の上達を願う中国行事の乞巧奠(きこうでん)・みんな知っているおりひめとひこぼしの言い伝え・着物を織って神様にお供えしていた棚機女の日本の伝説が結びついて七夕ができた。
- おりひめとひこぼしが一年に一回しか会えないのは、おりひめとひこぼしは結婚してからあまりにくっついていてお仕事まで放棄したので引き離されてしまったから。
七夕の由来を簡単に伝えるためには?・まとめ

今回は、七夕の由来や歴史等をご紹介しました!
いかがだったでしょうか??
七夕にはこんな由来や歴史があったんだ、と思っていただけたらうれしいです。
最後には七夕の由来をできるだけ簡単にまとめましたので、七夕の行事を楽しむときには、お子さんなどに七夕の由来をぜひ伝えてみてください!!